この記事では、「光陰矢の如し」と「歳月人を待たず」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「光陰矢の如し」とは?
矢が打ち放たれたかのように、月日があっという間に過ぎてしまうことを「光陰矢の如し」【こういんやのごとし】といいます。
維新が勃発したときから現代にかけて人々は立ち止まらず、出来ないほど歳月が経ってしまった現実を受け止められないのです。
元々は「旧藩情」を書いた福沢諭吉が使っていた表現であり、日を指す「光」と月を意味する「陰」を掛け合わせています。
「歳月人を待たず」とは?
長く感じても、月日は早く過ぎていくので、勉強や結婚する機会を失うため注意すべきという意味が含まれている言葉が「歳月人を待たず」【さいげつひとをまたず】です。
長く感じても、やれると思う機会は少ないので、実行できるときにすぐ取り掛かるのが大事という意味を含みます。
また、迷っていると挑戦できる機会を見失うので、やれるときにすぐ取り掛かりましょうという意味を持つ言葉です。
「光陰矢の如し」と「歳月人を待たず」の違い
「光陰矢の如し」と「歳月人を持たず」の違いを、分かりやすく解説します。
放たれた矢のように、目には見えない速さで月日が経つといった意味があることわざを「光陰矢の如し」といいます。
このような意味から、月日が経ってしまうのが寂しく感じる人の気持ちを表す言葉です。
もう一方の「歳月人を待たず」は挑戦できる機会は数少ないので、やりたいと思ったときすぐ取り掛かる必要性があるといった意味で使われています。
「光陰矢の如し」の例文
・『過酷な部活で後悔したが、3年の月日は長い目で見れば光陰矢の如しだ』
・『100年時代は長いが、80歳という歳ならこの先は光陰矢の如しである』
「歳月人を待たず」の例文
・『歳月人を待たずを思い出し、自分が本当にやりたい分野に転職した』
・『今年で40歳になる弟は歳月人を待たずと考えて、海外に移住した』
まとめ
月日に関連する言葉を2つ取り上げましたが、使う状況を考えてどのように使えばより意味をうまく伝えられるか自分なりに伝えてみましょう。