「川治温泉」と「鬼怒川温泉」の違いとは?分かりやすく解釈

「川治温泉」と「鬼怒川温泉」の違いとは?違い

鬼怒川沿いにある別々の温泉?この記事では、「川治温泉」「鬼怒川温泉」の違いを分かりやすく説明していきます。

「川治温泉」とは?

開湯は「徳川吉宗」公の時代で享保年間。

偶然見つかったもの日光は幕府の天領、それに加えて会津西街道に近接していた事もあり、宿場町として整備されていく事になりました。

湯治場としても知られ単純温泉の泉質。

約10軒ほどの旅館をはじめとした宿泊施設があります。


「鬼怒川温泉」とは?

熱海が現在では観光地、温泉場として復活しつつある今その衰退が改めてクローズアップされているのが鬼怒川温泉です。

鬼怒川の上流の沿岸域に存在。

高度経済成長期からバブル期においては大型ホテルの建設やアミューズメント施設が作られ、東京から日帰り、一泊してそのまま出社できる温泉や大規模宴会の場所として拡大の一途を辿りました。

90年代では関東ではそのテレビCMを見ない日はなかったほどです。

歴史的には天領かつ日光奉行のお膝元だった事から、一般民衆が入湯できる様になったのは明治時代を過ぎてからと歴史は浅いのが事実でした。

東武ワールドスクウェアや日光江戸村、そして日光猿軍団と近隣には観光地も点在。

現在でも40軒ほどの宿泊施設が存在しています。


「川治温泉」と「鬼怒川温泉」の違い

「川治温泉」「鬼怒川温泉」の違いを、分かりやすく解説します。

川治温泉は鬼怒川の上流にあり、男鹿川と鬼怒川が重なる渓谷に存在し、鬼怒川温泉とは別物です。

鬼怒川温泉は箱根、熱海、大阪で言う皆生、有馬と並ぶ大都市圏のいわゆる奥座敷として古くから開発されており、バブル経済期に大発展、アミューズメント化した事でも知られます。

この時期に東京から二時間を売りにした日帰り温泉として知名度が上がった際には川治温泉も鬼怒川温泉として含まれて呼ばれていました。

現在では鬼怒川温泉が衰退した事で川治温泉の知名度も回復し、別の温泉としての認知度も上がったと言えるでしょう。

まとめ

「川治温泉」「鬼怒川温泉」も同じ鬼怒川沿岸にある温泉なのは間違いありません。

ただし場所が川治温泉はより山間。

男鹿川と鬼怒川が合流する渓谷に存在する昔ながらの温泉旅館が10軒ほどの小規模温泉です。

鬼怒川温泉は源泉が発見されたのは早いもの民衆に開放されてからの歴史は意外に浅いと言えます。

大規模宿泊施設の老朽化がクローズアップされ、バブル崩壊の影響から抜け出せずに現在を迎えてしまいました。

それでも40軒ほどの宿泊施設が現在も営業する大規模温泉街なのは間違いないでしょう。

完全に温泉としては別物ですが、鬼怒川温泉が大盛況だった時代には一括りにして呼ばれていた方もいるのは間違いありません。

他地域でも知名度の高い温泉に近接した温泉は同様のケースが見受けられました。

現在でも鬼怒川の川治温泉と呼ぶ方は相当数いると思われます。

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